コスパのいい人生とは

自分の人生がコスパ良かったか悪かったかなんて、まだ分からない。
最近はまともに近づいて、低かった自己評価が並みになった気がしないこともないから、それは良かったと思っている。
そんなこんなで、今日は母親と学歴について話していた。
私は区で一番優秀なガキが集まる、中学受験するガキが沢山いる小学校に通っていた。もう誰とも会うことはないだろうけど、ね。電通やCA、有名商社、と卒業後の進路もみんなきらびやからしい。
並み以下の私は、中高は中堅レベルの一貫校の私立の女子校に通っていた。学習塾には小学5年から通っていた。
第一志望は、国立の中学校だった。当時の内向的な性格を変えたくて、校風が自由で、文化祭もとても楽しかったその学校に憧れを抱いていた。父も、兄も、国立だったから、目指すのは必然ではあった。
第二志望は、カトリックの私立の共学校。制服が可愛く、学校は遠いものの、広いチャペル等は魅力的だった。
そして、滑り止めに、家が近いというだけで選んだ、中高一貫の女子校。本当は女子校は嫌だったけれども、受験前に成績が下がったという理由から、偏差値50以下の学校も受けなさい、という塾の先生からの助言だった。制服が可愛いし家近いし……と渋々受けることになった。
のちに私はその学校を卒業した後、掲示板で知り合ったオヤジに、10万でその制服を譲ることになる。
まあ結果その学校しか受からず、レベルが高くない学校だったからと余裕かましてたら、入ってからの方が勉強が多くてビックリした。
勉強に追われていた日々だった。お陰で脱処女、中高で済ませられなかったじゃねーか。こっちは勉強も男も両立させるほど器用じゃないんだよ。成績良くて彼氏もいる女に嫌悪感を抱きながら(アンチ非処女で生々しい下ネタが無理だった)、大学は楽しいから耐えないと……と毎日言い聞かせていた。
しかしDQNやヤンキーはいない環境だったから、まあ私立の一貫校に通うのは悪いことではない、とは思う。
DQNやヤンキーはいなかったものの、メンヘラにはなった。元々そのような要素はあったけど。
小学生の頃塾に行きたくなくて死にたいと壁に書きまくったり、2校目に行ってた塾ではお弁当の時間に消ゴムのカスを投げられるからママの作ったお弁当を塾で食べれなくて、マックで食べていた。哀愁漂う後ろ姿だったからか、マックの店員にはなにも言われなかった。でも今では無理だわ、マックで親の作ったお弁当食べるなんて。(ハンバーガー買えよ)
上手くいかない人生は続くもので、中学1年で友達作るの失敗して、お昼休みの1時間が長すぎて、図書室に通い始めた。
大学の学科が文芸学科だったのもそれと関係しているはずだ。
私立なだけあって、やたら綺麗なだけが取り柄の図書室。
嫌いなクラスメイトのいない、空気の良い図書室。
一人でお弁当食べているのを生ゴミのように見下す、名前しか知らないクラスメイト。
図書室は、逃げるにはうってつけの場所だった。本は、時間を早送りしてくれる存在だった。暇にならないで済むアイテム、人間と交われないから、せめて本と交わろう、と。
私は本当に暗い、ただの空気だった。修学旅行で同じ班になる子にも申し訳なかった。私がいなかったらみんな仲良しグループなのにね、と。
でも、こんなマイナスなことばかり書いているけれども、優しい子はいた。
なんの支えもなかったら中退していたはずだ。まあ中退は200回はしようと思ってたけど。
母親には「悔しくないの?辞めたら向こうの思うつぼじゃない」とか「今まで教育費で、何百万あんたにかけたと思ってるの?」と言われたから無理だ、と悟った。

もう死のう、と家の12階から飛び降りようとしたけど、高すぎて無理だった。飛び降りるなんて無理だ。じゃあ自分を傷つけたクラスメイトを殺そう。大丈夫よ、少年法があるから。私は、まだ未成年だから。ニュースになるくらいでしょ、こんなの。数年もしたらみんな忘れる。あんなやつ、いなくてもいい。今までにないくらいの笑顔で、鞄に、果物ナイフを忍ばせた。
こっちを見てニヤニヤする女、クラスメイトという名前の女。もー殺すから別にどうだっていいんだけど。思いきりナイフを握った。私は勢いよく女の心臓を刺した。隣にいた女がキャーとか叫ぶからうるさくて、そいつの脇腹もついでに刺した。教室は血まみれで、だけど私はようやく教室で笑えていた。
ーそんな夢を、立ちながら見ていた。白昼夢だ。
少年法があっても殺すことは出来ないよ……そう思ったら自罰的な思想になり、腕を切り、髪を毎日抜いていたら前髪やサイドの髪はほぼなくなった。
エクステ禁止の学校だから、母親が学校まで行って教師に頼み込んで、エクステをハゲてしまった部分につけることにした。美容院の人は、笑ったりもせずにハゲた髪にエクステをつけてくれた。空っぽだった何かが少しだけ満たされた気がして、私は、嬉しかった。
やっぱり不自然だったからか、指を指す人はいたけど、気にしなかった。私は髪は一部分なくなったけど、足が丸太みたいに太くて顔がまんじゅうみたいなお前よりは少しはマシだ。数年もしたら、髪はまた生えるだろう。
校則違反をしたり、態度が悪かったり、成績が悪かったりしたから、嫌われているはずだった先生が席まで来た。
「髪の毛、抜いちゃうの?」
みんな暗黙の了解で見て見ぬふりをしていたから、あーつっこむのかい?って感じで頷いた。
「嫌なことがあると、知らないうちに抜いてるんです。」
のちに私は、この現象が抜毛症だと知る。
眉毛は元々薄いけど、眉毛も知らないうちに抜いていた。
「エクステは許可をもらってるから着けて大丈夫だけど、眉毛はないと校則に引っ掛かっちゃうから。抜きそうになるのは分かるけど、検査は終業式にあるから抜かないようにしようね。」
変に同情する気配もなく、変に根掘り葉掘り聞くのではなく、ただ優しくそれだけ言った。教育者として何が正しくて、何が正しくないのかこの人は分かっているのだな、と思った。人間なのだから、器用、不器用はあるけれども……。トイレに行って、私は静かに泣いた。
それからはあっという間で、行きたい大学に行って、就職をした。
中高一貫の女子校から推薦で大学に入学し、その後は正社員で中小企業のOL。良くもないけど悪くもない。偏差値にしたら50前後、といったところだろうか。
その先生には、就職してから最寄りの駅で会った。
「就職、どういうところにしたの?」
「事務職です。」
「クリエイティブにいくのかと思った。現代文好きだったし文章書くの好きだったよね?」
私は力なく笑って、
「でも正社員になれたし、クリエイティブは才能なくて無理だと思ったから、現実を見て生きようって思って。」
それだけ言って、その先生とはもう会うことはなかった。

女は学歴はさほど大事じゃない。そのことは、社会に出て気付いた。ないよりはあった方がいいけどね。
もっとそのことに早く気づいていたら、中学受験しないで公立の中学に行って、推薦で高校行って、定員割れしているような女子大(跡見、実践、大妻レベル)とかに指定校推薦で入学していただろう。その選択がコスパ良くて、身分相応だったはずだ。大きな苦しみも味わわなかったし、自分も誰も傷つけなかった。
でも、家庭環境的にもそれは無理だった。
挫折を経験したから、今がまともなんだって思えるし、幸せな時期なんだな、とも思える。
挫折が遅ければ遅いほど、辛いことは多々あるはずだ。挫折はないに越したことはないし、挫折のない人生は正直、完璧で羨ましいけど。
今では中高女子校だったなんて、合コンのネタでしかない。履歴書に書ける、経歴でしかない。
過去は、つまり過去でしかないのだ。卒業したのだから、学歴として残る過去。上級層には、なれなかったけどね。
だけど、私は私でしかないのだから仕方がない。
国立中高で、お茶の水女子大に入って、一部上場企業のOLやって25歳で結婚、なんて憧れで空想にしか過ぎなかったのだ。
25歳を目前にして、ようやく自分の一部を受け入れることが出来た。認めて、赦すということが出来た。全てを受け入れる、は難しいけどきっといつかは。
「ミーティングの事務局だから、資料のコピー宜しくね。」
「ドクターにメール入れておいてくれてありがとう。君のこと、気に入っていたよ。」
ちっぽけなことかもしれない。
でも私は、そんな言葉で喜べる、OLとして社会に適合しかけている。