パパ活はどうして辞められない

生まれ持った容姿が美しい人が、ずっと憧れだった。ああなれたらどんなに幸せなのだろう、ずっとそう思っていた。
でも、最近はその感情が薄れつつある。
生まれ持った容姿の美しさは、女性なら尚更大きな強みだろう。
「あの子って可愛いだけじゃん。」そんな会話を聞いたことがある。
その「可愛いだけ」がどれだけの存在価値を見出だせるかなんて、同性なら尚更分かりきっているだろう。どれだけ得をして、どれだけ良い思いをするのか。私は、その会話に賛同は出来なかった。
しかし、良い思いが90パーセントでも、10パーセントは美しいが故の代償を受けてしまう。
CAになった小学校の頃の美人の友人は、一緒に歩けばしつこくスカウトされ、ナンパされ、痴漢にもよく遭っていた。
一緒にマックでお昼ご飯を食べている時に、ガラス越しで男がこっちを見ながらチンコを扱き、射精をした。
中学の頃なので性経験も知識もなく、何が起きたのか、一瞬分からなかった。でもガラスにかかった白い液体が気持ち悪いと思った記憶がある。ただ漠然と、何故自分たちがそんなことをされないといけないのか。自分たちにいったい何の落ち度があったのか。理不尽という言葉の意味を人生で始めて知った1日だった。
一人でいるときはそのようなことはなかったが、この子といるときはそういうことがよく起こった。
つまりは可愛い子は、目を引いてしまうが故に、そのような被害に遭ってしまうパターンが少なくない。
その友人は、頭も容姿も良かったので現役で有名大学にも合格し、就職もなんなく第一希望のCAになることが出来た。美しい容姿である人間の成功パターンであると思うし、このような人生は必然だっただろう。
しかし、みんながみんなそのように器用に人生こなしているわけではない。挫折しない人間は少なからず存在しているとは思うけれども、美しくありながらも挫折をする人間だって当たり前のようにいる。
幸せそうなブスと不幸そうな美人だったら、どちらが良いのだろう。昔だったら後者だと答えていたと思うが、今は即答することが出来ない。むしろ前者の方が幸せな分、救いがありそうな気もする。
休職している会社で、国立大院卒の女の子がいた。偏差値は70を越える学校だ。美しさより何より、努力してその学歴を手に入れた彼女が羨ましくて仕方がなかった。生まれ持った容姿が美しい人間よりも、努力してスペックを上げて尊敬される彼女の方が、何倍も苦労しているだけの人間らしさがあって凄いなと思った。
女性目線の見方と男性目線の見方があるから何とも言えないけれども、努力して一芸に優れている人間は魅力的だ。
本題に入ろう、題名で述べた、パパ活に関してだ。
私はパパ活が辞められない。
承認欲求の満たし方が分からないし、いつ浮気するかも分からないような彼氏に期待するよりかはお金と愛情両方くれるパパの方が効率が良いと思った。お金をもらっている分、裏切られた時の打撃も少ないだろう。裏切られる?色んなものを与えてもらっている時点で、裏切られるもくそもないか。
パパ活の魅力は、容姿がよくなくても稼ぐことが可能であることだ。もちろん、容姿が良い方が稼ぎやすくはあると思うが、容姿の好みに関しては千差万別である。例に、死刑判決が下された木嶋佳苗を挙げたい。彼女は太っていて容姿が良くはないものの、1億円以上のお金を複数の男性から貢いでもらっている。
ようするに、可愛くて不器用な子よりは、どれだけお金がある異性の孤独に入り込めるか。容姿以上にそれが必要とされてくるのだろう。
最初に述べた美人でCAの友人は、身体を張らずに、食事だけで数万は軽くもらえるスペックだ。本当に羨ましく思う。でも、彼女はパパ活は絶対にしないだろう。理由は、そんなことをしなくても承認欲求は満たされているから。両親からも周囲からも可愛い可愛い言われて育って、歪むことなく社会人になったと思う。屈託もない笑顔をFacebook越しで見て、私は確信した。社会に揉まれ、苦労は少なからずあるとは思うが、パパ活なんてそんなことをしなくても、彼女は満たされているはずだ。
ただただお金が欲しくてパパ活をしてる子もいるとは思うけど、何かしら、心の奥底で承認欲求を満たしてもらいたい子も沢山いるのかと、少なからず私は思っている。
男なんてみんなヤれたらそれでいいんでしょ。だから申し訳ないとも思わないし遠慮もしない、受けとるものは受けとる。だって相手を好きになったって女は世の中に沢山いて、すぐに飽きられてしまうのだから。代わりは沢山いるのだから。繋ぎ止められているうちが華だ。そう、心の中で自嘲していた私に、パパは40万をくれた。これが彼からの愛情表現だと思っているし、私が与えられるものといえば20代前半の女のする今限定のセックスだ。私は恋人もいなければ既婚者でもないので後ろめたいことも何もない。バレて怖いこともない。だから、ただ有意義にお金を使うことに徹すれば良い。ギブアンドテイクだよなあ、そう思いながらラーメン屋でラーメンを食べながら物思いに更ける人生。
月収200万越えることもあるくらいには、生活に困っていないのに、学校のレベルが低いと吐き捨て、学費もお小遣いもくれなかった実父。
中高の頃ブスと吐き捨てた同級生。ブスブスブス。それはお前もな。だから目も鼻も歯並びもいじって輪郭もいじろうとしてるっつーの。お前みたいに貧相な体型じゃなくてFカップあっておっさんウケいい体型してんだよボケ。当時はけして言えなかった言葉が、心の中で渦を巻く。未成年であることを盾に、実名報道されないのを盾に、同級生を殺していたらどれだけすっきりしたか。でもしなかったのは、私に理性があって、幸せになって見返したかったからかもしれない。
「こんな可愛い子が苦しんでるなんて理解出来ない。」と優しい言葉をかけてくれて、お金をくれるパパがいて幸せだ。幸せ幸せ幸せ。幸せ?
1000万以上の貯金があっても、承認欲求が満たされない限り今の連鎖は、止められないだろう。
東電OL殺人事件を思い出す。高学歴で、有名企業で高手取りで働く彼女が、何故売春をして殺されたのか。彼女は、きっとお金では解決しきれない承認があったのだろう。殺されてしまう時、一体何を考え、何を望み、何を思ったのだろう。この事件を題材にした、桐生夏生の『グロテスク』を読んだり、実際に殺された現場の地下の居酒屋に一人で行ったりしてみたりしたけれども、彼女の気持ちは分からなかった。でも、少しだけ、同じ女としてわかり得ることもある。
お金と承認の狭間で、終わりなんて存在するのだろうか。殺してもらうのを待つか、醜いおばさんになって、異性の誰からも見放されることを、もしかしたら心の奥底で期待しているのかもしれない。その時に私は、マスクをして清掃の仕事をしながら「本当に男なんてどうしようもない」と恨み言を言っているのだろうか。