中学受験の憂鬱

壁には「栄光を掴め!」と大きな文字で力強く書かれた貼り紙が貼り付けてあった。
義務教育ではない、中学受験に向けての学習塾だった。僅か10歳で、その戦争に私は参加した。まだ当時小学5年生だっただろうか。
私の通っていた小学校は中学受験をする人口の方が多いほどの、教育に力を入れている者が多い小学校だった。
中学受験の過去問を、小学校の授業中に解いていた男子がいた。もちろん彼は先生に怒られた。すると彼は
「じゃあ先生。僕が中学受験で行きたい学校に不合格だったら、先生は責任が取れますか?」
と言った。今思えば、生意気なガキだ。でも私は、その子の振る舞いが格好いいと思って、少し好きだった。彼は、御三家の男子校に落ちたものの、偏差値60越えの男子校に合格していた。先生は、しどろもどろだった。勉強の毎日でストレスのたまった教室内のはりつめた空気は、今でも覚えてる。学習塾のストレスの捌け口が、小学校だったのだろうか。受験の一週間前からは、クラスの半数近くは休んでいた。(風邪になったら受験に影響し、困るから。)
結論からすると、私は1校の学校には合格したが、2月1日、2日、3日と連続で受験に不合格だった。
正気になれずに、泣き出しながら塾の先生に電話をする私。普段は厳しいのに「泣いても仕方がないから他の入試を頑張れ」と励ます塾の先生。レベルの低い私の受験に全く興味もなく、教育に1銭のお金も出さなかった父親。(兄は御三家も受けていたので東大を目指していたらしく、積極的に父が説明会等行っていたらしいが)今さら公立に通うなんて嫌よ、塾にいくらかけたと思ってるのよ、と叫び寝込む母親。ただただ冷静に、高校受験もあるんだからと、苦手な科目の勉強を教えてくれた、国立の中学に通う兄。
いくら小学6年と言えど、流石に不合格続きで不安しかなかった。小学校の子には、塾の子には、何て言おう……。2月4日は2月5日の試験に向けて大勉強をした。今では学習塾で教務主任をしている兄は、勉強を教えるのが上手かった。
「落ちても高校受験があるからいいじゃない。」
兄だけが味方な気がした。しかし、兄弟でも出来が全く違い、本当に恥ずかしかった。
2月5日に、最後に受けた、中高一貫の女子校には、合格していた。
ネットでの合格発表で合格を知り、そこからその学校に、家族全員で行った。掲示板にも、自分の受験番号が書いてある。本当に合格だったんだ。公立中学に行かずに、私立に通えるんだ。
本当に幸せだった、その時までは。だってその後、クラスで孤立して一人でお弁当を食べたり、担任が援助交際で捕まったり、留年の危機に陥るなんて思ってもいなかったから。楽しい生活だけが待っているとその時は思った。その学校を中退した子は、せっかく頑張って入学したものの、沢山いた。
可愛いと有名だった制服のセーラー服を、卒業した後に掲示板で知り合った制服マニアのおじさんに高価で売るとも思っていなかった。
中学受験は、僅か12歳で人生の勝敗が決まってしまう。でも、別にそれでいいと思う。生きていればそんなことばかりだから。早くに挫折を経験して、早かれ遅かれ人生こんなもんだと知るべきだ。受かれば、それはそれで自己評価上げておけばいい。まだ小学生なんだから可哀相、遊ばせてあげたらいいのに、とも思わない。そんな親は、田舎で低レベルな馴れ合いでもしとけばいい。私が住んでるのは、東京の板橋区で、お世辞にも治安が良いわけではない。近所の公立中学は荒れていて、少年院に入ったりしている男子もいたそうだ。だから尚更、良い環境で勉強させてあげたいと思って受験させる親は、教育熱心で素晴らしいと思う。まあ色んな考えがあると思うけどね。レベルの高い学校は、だいたいいじめがないと聞く。自分以外にさほど興味ないから、そんなレベルの低いことをするような人間がいないに等しいらしい。(まあ兄の通っていた偏差値70近い国立の中学で、部活が一緒の中3の先輩が飛び降り自殺して問題になったらしく、いじめが全くない環境は、どこにもないのかとも思うけれども。)
「中学受験で落ちても頑張ったんだから。」
ネットなどでその言葉を目にし、そう言える親は凄いと思った。でも、本音だろうか。
本当は合格して欲しかっただろうし、学習塾だって、安くはない。結果を残してほしかっただろう。
私は、母親が不合格続きで慰めるどころか嘆いていた記憶しかないが、それが本来あるべき姿だと思う。自分だって悲しかったけど、受験で不合格だった当人より、受験に課金をしたものの不合格だった親の絶望の方が計り知れないだろう。周囲の目や、かかった費用が無駄になったこと。(不合格は無駄ではないという意見をよく目にするが結果論としてどこも受からないで何も思わない親はいるだろうか。)体調や、問題との相性だって、運だってあるから、受験は頑張れば必ずしも報われるとも限らない。課金した親からしてみたらギャンブルに近いものもある。でも私が仮に親になったとき、その中学受験を自分の子供にさせたい。自分のリベンジだか、その子のためだかは定かではないけれども。
中高一貫の女子校を、卒業した。中堅レベルの大学も、卒業した。正社員で、会社員も経験した。しかし、一年は頑張れるものの、それ以降は続かないのが現状で、今の会社を休職していることなんて、親には絶対に言えない。
父親はどうせな、と鼻で笑うだろうし、母親は、あんなに良い会社なのになんで頑張れないの、と悲しむだろう。良い会社もなにも、おっパブで働いてた時にコネで入れて貰った会社だ。不細工低学歴が、身体を張って乳でおっさんに評価してもらって入社した会社である。でももう、そういうのも疲れたよ。
もうだいたい分かる。次の壁が、20代で良い男を捕まえて結婚することだって。疲れた疲れた疲れた。いつになればゴールがあるの?なにをすれば正解なの?あと何年生きればいいの?整形して可愛くなったら評価してくれるの?また正社員で働いて、高学歴で優しい男と結婚すれば周囲や世間は評価してくれる?
12歳の記憶は、26歳になった今でも、昨日のことのように思い出す。
2月1日に合格率80%の学校に落ちて塾に泣きながら電話したこと。2月2日に雪の中遠い学校だから朝早くて真っ暗な中、タクシーに乗ったこと。2月3日に面接待ちの時に前の番号の子と友達になったけど、その子しか合格してなかったこと。2月5日に最後の第三次試験があったけれども、第三次は倍率高いからどうせ落ちてるよ、と母親が寝込んでしまったこと。
中学受験をさせている親御さん方は、「中学受験」で検索してたどり着いたこのブログを見て、どう思うだろう。きっと、失敗例として見られているだろう。でも合格しても不合格でも、幸福な場合も不幸な場合もある。不幸じゃない人生に、自分の子供を導いてほしい。まだ12歳だ。思っている以上に子供でも大人でもある。韓国は学歴社会で、受験に不合格で自殺、とかも少なくはないらしい。
中学受験で失敗しても高校受験、高校受験に失敗しても大学受験、大学受験に失敗しても就職がある。
就職に失敗しても、女なら若さで結婚しても世間は何も思わない。日本は韓国と違い、挽回の機会が、選択肢が、多くあると思う。不合格は嬉しいものではないけど、ショックで死なれるくらいなら、生きて現実と向き合ってもらうよう、見守るのも親の役目だろう。
半年の勉強で東工大に合格した父は、馬鹿な私の教育に感心なかった。期待された兄は浪人したけど、東大にも医学部にも受からなかった。必ずしも報われる教育は、ないのだろう。必ずしも報われてほしかったら、人間ではなくロボットを用意してほしい。失敗したからと責めても、結果は何も変わらないし、荒んだ精神、卑屈な考えを持ってしまうだけだ。それで気が済むなら別にいいけれども。
ニートになるくらいなら風俗でもやれ。」そう言った父に、その時の一言がショックだったことをいつか伝えたい。自分がなんでもかんでも上手くいってきたから、失敗ばかりの私が不思議なのだろう。そんなこと言うくらいなら、子供なんて作らなければ良かったのだ。「本当に生まれてきたくなかった」と遺伝の病気で入院したとき言ったら「せっかく生んでやったのに何を言ってる」と言った言葉が見当違いだと言うことを、いつか分かってもらいたい。人間の考えは変わる、という言葉が存在する限り。不妊治療で無理矢理作られた子供だったから、本当は生まれたくはない意思があったのに、無理矢理失敗作として作成されたのだろうか。
私は援助交際もしたし、おっパブでも働いたし、パパ活もしている。本当に人生楽に稼げるんだとしか思わなかった。ショックな気持ちも、もはやなかった。社会に揉まれる苦労と比べたら、大したことがない。「あーこんなに楽なのになんでみんなしないのかなー」としか思わない。これがおかしいことだっていうのはわかっている。でも、自分を止めることが出来ないのだ。友達は、いないに等しい。誰からも連絡が来ない。みんな私のことが嫌いなのだろう。
まだ将来のある子供がそんなことをして嬉しい親がいるのだとしたら、死んだ方が良い。私はもう手遅れだ。26歳で、若くない。自分自身が変わる努力をするしかない。
成績しか取り柄のないブスは、狭いコミュニティでちやほやされても、社会に出て現実を知ってほしいし、もう色々とやり場のない怒りしかない。
2月3日の今日。不合格した学校の受験の日だ。毎年、一度も忘れたこともない。女子校特有のネチネチした校則も厳しい環境ではなく、自由な国立の中学に合格していたらこんな今のような姿はなかった?考えても無駄な問題だ。終わったことだから、この一言に尽きる。大学受験であの学校は推薦もほぼなく、どこに行っても苦戦しただろう。
上手く生きれなかった罪滅ぼしで、今日はデパ地下で恵方巻を買って、母と恵方巻を食べた。今までは何でもしてもらう側の、子供だったから。大人になったからもう大丈夫だからね、心の中でそう呟き、中学受験をさせる親達の気持ちに、少しだけ近づいたような気がする。