教室で誰かが笑ってた

「わー。すっごーくかっこいいスーツですねーぇ。似合ってるーう。」
過剰なまでに騒ぎ立てて誉めちぎると、オヤジは満足げにニヤニヤと笑い、私に酒を勧めた。きっと、数十万は下らないだろう。一方私は、胸をヌーブラで寄せて、Tバックに、露出ある衣装。それらには特に大きな抵抗もなく、うさぎの耳が取れないよう、ヘアピンで固定した。
今年27にもなるのにどうしてバニーガールを着ているんだろう。そう思いながら、今年も足を洗えなかったんだなという葛藤と、寿退社とは無縁の人生なんだろうな、という絶望が襲う。しかし義務がないのは心底楽なのだと思うと、それでもいいのかもしれないとも思う。
雨に濡れながら終電で帰宅しようとしていた私に、知らないおっさんが傘を渡してくれた。若い女に優しい、中央区の夜。躊躇うことなく笑顔でそれを受けとると、終電の電車に向かい、足早に駆けていった。
時には開き直りも必要だから…手取り20万いくかいかないかで大幅に時間を支配される、事務職OLが名残惜しくもならなかった。満員電車のストレスも、睡眠不足によるストレスも、味わうくらいなら死んだ方がマシかもしれない。
酔っ払ったNo.1の女が待機でベロベロで、寄りかかってきた。
「ごめんね、私酔っちゃって。」
細くて長い手足に、整った容姿。女の私でも一瞬ドキッとして、あーこりゃこの仕事で経済を回せるのは必然だな、と思った。
「あ、大丈夫ですよ、無理なさらず……。」
それだけ言うと、彼女は口角を上げ、微笑んだ。彼女は、とても美しかった。
10年前が17歳というと、まだ私は高校生だった。自殺するかしないかで葛藤するほどの、当時のような悩みもなく、ただ毎日は過ぎていく。そうやっておばさんになっていくのだろう。だいぶ生きやすくなったものだ。クラスメイトに出ていけコールをされて机の中の教科書も持ち帰らずに、鞄をおもむろに持って教室を出ていった日のことを思い出した。全く忘れることなんてないんだなあと思いながらも
、別の世界の出来事だったようにも思える。なんて被害者ぶりながらも加害者だったこともあり、被害者ぶる権限は何処にもないな、と感じる。理性を持った、正しい大人になりたいという、当時の願いは叶わなかった。
そういえば西鉄バスジャック事件の再現ドラマを見て、涙がボロボロ止まらなかった。恐怖からではなく、加害者に感情移入をしたから。加害者は、17歳だった。
人を殺したいほどの絶望に直面した時、一体人間はどうなるのだろう。もちろん加害者が正しいとは思っていないし、被害者は本当にやり場もない怒りがあると思う。落ち度もなく、理不尽に殺されてしまったのだから。
でもどうせなら、何の罪のない人を殺すのではなく、自分をいじめてきた学生時代の同級生を殺せば良かったのに、とも思う。どーせ少年法が守ってくれるんだから。
「誰からもわかってもらえず、辛かったんだね。」
加害者に、被害者はそう声をかけたそうだ。重体になるほど刺されて生死をさまよい、顔にだって消えない傷を残されたのに。恨むのは当然なはずなのに。加害者は、その言葉を聞いて、涙したそうだ。私は、その涙が嘘だったとは思えない。怒鳴られるより、嘆かれるより、許されることが一番辛いのではないのだろうか。でも、向き合うしかないのだから、贖罪の方法を日々考えながら、生きていくのだろう。
私は人を殺さずに、前科もなく27歳に今年なる。結婚するか会社員でいるかも叶わずに、適当に義務なく暮らしている今を徹底して楽しめばいい。イケメンに持ち帰られるために急ピッチで酒を飲んで酔っぱらって、明日のことも考えずに思うがままに行動出来る気楽さに、感謝したら良い。
ラブホのベッドで朦朧としながらあーチンコ突っ込まれてるなーってかゴムつけてないやないかい。ま、ピル飲んでるしいっか。大丈夫大丈夫気持ちいいし、これくらいじゃ死なないよな、いやむしろ死ねたら嬉しいか、アハハと思いながらヘラヘラしつつ生挿入されていた。男はどこに出せばいい?とか聞くけどそれくらい自分の頭で考えようやとも思うし、まあ聞いてくれるだけ親切なのかなとも思ったり。
そういや飲み会で顔射の話しした時に、その男だけ顔射したことあるって話で盛り上がったっけ。うーん、どうせワンチャンだし中出しサービスするより顔射の方がセフレ女感あってエロいだろう。「顔で。」そう言うと同時に顔が温かくなった。まあ帰って寝るだけだし化粧もどうでもいーや。元々顔面は崩れているし。暗いラブホの照明に感謝した。私は顔射とかなんとか、特にそのような嗜好はないけれども、警察沙汰になった男に顔射されたのが最初で最後だと思うと、なんだかなあと思ったのでそれを選んだ。
あの彼はただ単に、キレやすかったからか、殺したいほどの憎しみを抱いてくれたのか。それは今でも分からない。死にたい死にたいその男に言っていたのにいざ刺されそうになった私は、死にたくないと思いながらブーツも履かずにそのマンションを飛び出した。後ろを見たら刺される、誰か助けてと言うのと、近くにあったフライパンを投げたのは同時だった。人生で初めて110番を押した場所が好きで好きでたまらなかった男のマンションだったとは皮肉だ。でも、そういう自分に酔ってるんでしょと言われたら否めない。そんな20歳になったばかりの冬だった。その男は書類送検されたのだろうか。前科はついたのだろうか。
警察の手続きは面倒で、誓約書みたいなのを書かされた。もう会わない、とのような。
付き添ってくれた女警官が言ってくれた言葉は、きっと一生忘れない。
「暴力振るう男だけは止めなさい。」
泣きじゃくる私を説得するかのように、静かにそう諭した。
気づいたら終電はなくなっていて、男警官が二人乗っていたパトカーで、私は実家まで帰宅した。
親は寝ていて、特に話すこともないなと思いながらベッドに入った。その日はなかなか眠れなかった。
その一年前の夏に強姦未遂に遭って警察に行ったことも親には言えなかった。今ではどうかわからないけど、未成年は、大人の承諾がないと被害届を出せないのだ。当時18だか19だった私は、別にヤられたわけじゃないし夜中に爆音で音楽聴きながら帰っていた自分に落ち度があると、全てを諦めた。経験人数1人の夏だったけど、それから徐々に荒れていった。知らない男に乳を揉まれた絶望は、4年後におっパブで働くとは思えないほどのものだった。まあ今となりゃ金さえもらえばなんでもいーよ。時には諦めも必要だ。
そんなことよりも気になるのは、CoccoのRainingという曲の歌詞で、「教室で誰かが笑ってた」という部分。笑ってたのは、嘲笑いだったのか、楽しさによる笑いだったのか。その解釈だけがずっとはっきりしない。だけど、生きていれば勝手な解釈は出来るし、理解できる日は来ると思う。


教室で誰かが笑ってた
それはとても晴れた日で