私たちは選民思想の持ち主です

偏差値音頭がいつまでも頭の片隅に残っている。おばあちゃんが赤いはちまきを頭に巻いて太鼓を叩いてる。偏差値70!偏差値75!と叫んでいて兄の模試の結果に一喜一憂していた母親の叫び声に疲弊し、部屋にずっとこもっていた頃を思い出した。

幼稚園受験が終わってから、抜け殻のような奇妙な気持ちで日々を過ごしている。合格を知った時、嬉しくて喜ぶか泣くかするのかなと思ったけど、現実味がなく、本当?という気持ちが強かった。本も読めなくなり、文章も書けなくなった。もちろん嬉しいのだけれども、正直中学受験のような地頭で勝負出来るような年齢ではないのでほぼあれは運でしょう。だけど、知らなかったことを沢山知れた。名門校の校舎から出てくる濃紺スーツの親御さん達を眺めて羨ましく思っていた時もあった。聡明そうな子達が着ている重々しい制服が、眩しかった。スーパーキッズの親というよりも、運が良い子供の親、と表現した方がしっくりくる気がする。もちろん発達持ちの子や行動に問題がある子はテストでふるいに落とされるというのはあると思う。でも通うことになった当事者としてはやはり、合格いただけたのはご縁があったから!といった表現は烏滸がましいなと思う。ただただ運が良かった。それだけ。

髪を束ねて濃紺スーツを着て、黒のヒールを履く。受験は親のエゴか?問題はもうお腹いっぱい。治安悪い公立の民度を知ってからそういう発言してほしいけど、シンプルに想像力ないんだろうな。同級生の喧嘩を止めただけで乱暴な男子に殴られて顔面血まみれになったり、上の代は少年院行きもいたし下の代は◯殺した子もいた。

そういえば小学校低学年の頃に習い事をしていたら、近所の不良が乱入してきた事件があったらしい。私は全く記憶にないけど、習い事に来ていた高校生の男の子が暴れる不良を怪我しながらも止めたらしい。どうしてそんなことをしたか聞いてみたら「習い事に通えるような環境が羨ましかった」と言っていたそうだ。彼は「もう2度とこういうことはしないと約束してくれ。約束してくれたら警察には言わない」と言ったそう。その高校生の男の子の家もお父さんがDVで問題あったりしたらしく、高校卒業後、親は離婚し、彼は自衛隊に入ったらしい。自慢の子供だね。本当にたまにこのことを私は思い出す。すぐに忘れるから書いて記憶を残しておきたい。今と真逆の環境で私は育った。

お教室も通わず迎えた受験の行動観察のテスト。詳しく書くと身バレする内容だから……まあ幼稚園の名門校なんて青◯やら慶◯やら色々あると思うし。とにかくテストは、親は口出しをせずに見守るしかなかった。過干渉な親が1番アウトらしい。

子供がブロックを黙々と集中して組み立てている時に、兄が高校の頃言っていたことを思い出した。

「もっと自由が欲しかった。」

高校に入ったらバイトも部活もしばらくして辞めさせられ、予備校漬けだった。

母親の気持ちは、今なら少し分かる。偏差値70の名門校に入れたのだから、さらに上を目指したいのだろう。でもいつも明るくて面白い兄がいなくなって、結局医学部も落ち、彼の青春はみんなの期待を強制的に背負わされ、我慢ばかりだった。私は同じように育てたいのか?それはない。自分が「出来ない側」の人間だからこそよく分かる。子供には青春を送ってもらいたいし、自由にのびのび生きてほしい。

「僕もっとブロックをしたい!」

テスト中に子供が大きな声を出した。いや、もうすぐ片付けの時間だし。思うことは色々ある。もっと協調性を持って他の友達と遊んでほしい。端にいる子たちはグループになって遊んでいる。周りにも目を向けて。でも、集中力があるっていうのは強みであって、私にはない羨ましい長所だと思った。まあ私も夫も内向的だし、無理矢理輪に入れさせるのが酷なことくらい分かる。自分だってされたくない。

「あなたが好きなようにしたらいいんじゃない。」

突き放すようにも見られるし、やや奔放なようにも見られると思う。でも、私は子供に自由に生きてほしいし好きなように生きてほしい。この気持ちだけは忘れたくないと思った。

「テスト終了です!番号順にお並び下さい!」

この言葉で、テスト終了に気づいた。子供は楽しかった!と言っていたのでそのことが凄く嬉しかった。

面接も終わり、家に帰宅した。帰ったらお茶を2杯がぶ飲みして、喉が乾いていたんだな、と気づいた。朝、トイレが近くなるのが嫌だから飲み物は控え目にしていた。それもあるけど、緊張していたから喉が乾いたんだな、と。

「自分の子が名門校に通うって、嬉しいわよね。私はあの頃が1番幸せだった。」

母親だった。自分は子供が幼稚園に合格し、どう喜んでいいか分からずにいたけれども、自分の親は誰よりも喜んでいた。

選民思想の持ち主だと思う。私も親も、登場人物全員。でも、誰しも心のどこかに選民思想が多かれ少なかれあるのだと思う。治安悪い実家からお金持ちと結婚して、治安の良い場所に家を持つという上昇婚。中身がない人間が、トンビが鷹を産む、のことわざの信憑性を確かめるための挑戦でもあったのだろうか。

back numberの青い春を聴いて、桜が咲く季節を待つかー!来月の入園式が今から楽しみで仕方がない。

https://www.nikkatsu.com/movie/26949.html

映画の青い春を見て、エモい気持ちに浸りたい。

なんとなくカレーライスを作る日々

「いらっしゃいませー、お客様2名様のご来店です」

若い女の子の声が店内に響き渡ると、キッチンにいた他の従業員も「いらっしゃいませー」と声を合わせて元気よく言い、その時の店内の雰囲気と空気感が何か好きだな、とその瞬間に私は思った。

家が近いからと3時間拘束でレビューも良いといった理由で、すきまバイトアプリで入ったカレー屋だった。バイトの業務は単純明快で、お皿をひたすら洗って食洗機にかけるだけだった。31歳既婚者2児の子持ちの私は専業主婦歴4年近いし、接客の仕事をいきなりやるのも引け目があって、飲食店の洗い場という裏方の仕事を選んだ。コミュニケーション能力に不安があったからである。無口な夫とはコミュニケーションらしいコミュニケーションをあまりとっていない。それを人に話すと「それってどうなの」と言われるけれども、彼曰くそれは普通であって、それでも円満らしく、私もそれだって円満だと信じ切っていた。朝起きたら無口な夫がいきなり芸人ばりのコミュニケーション能力になるはずがないし、求めても仕方がないものを求めたってどうしようもない。まあ私も欠点だらけで人のことどうのって言えないし。テレビを見ながら一方的にテレビに話しかけると、今日の私テレビとしか話していないなとか思うけど、都心に新築3LDKの戸建てを買ってくれてマイホームを手に入れた私は文句など言えない。億超えの住宅ローンを払える収入の男にこれ以上の何を求めたら良いのだろうか、不満を言った途端に烏滸がましい傲慢な人間に成り下がる。家賃4万の風呂トイレ一緒の蟻が出る1階のアパートに2年以上住んでいた日々のことをあれこれ思い出す。切れた電球の取り付けすら出来なくて暗い家で1ヶ月以上過ごしたこと、ストロングゼロを3缶飲んで酔って風呂に入って死にそうになった日のこと。夜中に洗濯機を回す隣の家の中年デブ、あんな末路は辿りたくない、私は絶対ハイスペと結婚して高級マンションに引っ越す、そう意気込み、キャバクラで働きながら婚カツパーティーに通った。商品は鮮度が命、見た目も学もない私には若さという切り札しかないのだと実感した。商品は婚カツパーティーの会場で男に点数づけされ、値踏みされる。中学受験の模試のテストの結果でこの学校しか受からない、第一志望はC判定だ、夏期講習頑張ったのになんで!お兄ちゃんは名門校に受かったのに!母親の金切り声を思い出しながら名門校に通えなかった青春時代を思い出す。人生は点数付けされ、順位や優劣をつけられることの連続だ。ブスは早く結婚相手見つけな、若ければなんとかなるからと言っていた母親の忠告を受け入れ、私は27で結婚し28で第一子を妊娠出産し29で第二子を妊娠し30でマイホームを手に入れ2人目を無事に出産し終えた。授乳が終わり3カップ以上減ってぺたんこになった胸を鏡越しで見ながら「女としての人生はもう終わった」のだとと悟った。ブスでも若くてEカップあった私はそれなりに男は選べてきた。もちろんモテるような人は論外でそれなりに見合う陰キャとか根暗だけど。くそみたいなヤリモクだっていたけど。まあそれでも誰からも相手にされないよりはマシだし相手をどうこう言えて選べる立場でもないし。夫は痩せてる女が好きだと言っていたからとりあえずは痩せた。面倒で夕飯食べなかったらみるみると痩せた。158センチ45キロ、比較的細い身体は軽いし服も何だって入る。すとんとしたワンピースだと貧相な胸が目立つから盛れるブラするか、とか考えてる自分が惨めで、痩せたんだからそれよりも褒めてよ、認めてよと思った気持ちは花火のように打ち上げられ散って、ただの自己満足に過ぎないと悟って苦笑して、ひたすら豊胸について調べたけど、脱ぐことなんてないしもういいやと諦める。シリコンがいいのかヒアルロン酸がいいのか脂肪がいいのか少ない脳みそで考えるのがもう無駄だし疲労でしかない。女の人生はあっけない。豊胸して巨乳になってもメンテ地獄だし胸ばっか見てるような変な男しかよりつかなくて、40後半にもなればナンのように垂れ下がった乳になり温泉で憐れみの目で見られるのだろう。いずれは老いる、子供を産んでいないハリのある綺麗な若い女の身体を、かつての自分の姿と重ね合わせながら横目で見るのだろう。

なんかもう何にもなれない。子煩悩な肝っ玉母ちゃんにも、教育ママにもなれない。私は結局何にもなれていない。子供を世話するのに追われて気づいたら夜になって21時には寝室に倒れ込んで意識失ったように寝てしまう。ただただ育てるということしか出来ない。アンパンマンカレーをチンしてスティックパンをあげることしかできない。大阪2児餓死事件の母親との違いは一体なんだろう。父親がまともだということだけではないのだろうか。収入が良くて怒ったこともないような夫は情緒が安定していて、片親だけでもまともな所に、救いはある。そう思った瞬間に自分の中の何かが崩れて頭から後ろに真っ逆さまに倒れる自分の姿が脳裏に浮かんだ。

カレーライスを作る日々は続いている。気づいたら履歴書を書いて面接を受けていて、カレー屋でバイトをする主婦になっていた。それらの行動は直感でもあり、本能でもあったのかもしれない。すきまバイトのアプリでバイトをした日から、ここで私は働くべきなのだと吸い寄せられるように面接の電話を入れて、面接をした。カレーの盛り付けを淡々とこなしながら、カレーライスを作る日々が日常に付け加われた。

「俺ん家来ませんか」「鳥籠の中の鳥だから」「男がいないと何も出来ないような女はださいっす」

なんか色々な言葉をかけられたけど忘れたと思ったら思い出したり記憶が辿々しい。彼と初めて会ってからまだ3ヶ月経ってないのに毎日は濃くて、手が触れるか触れないかでも嬉しかったけどとりあえず話せれば楽しくて、話せなければ悲しくて、シンプルにそれだけ。

そんなの男で現実逃避してるだけだし、ちゃんとした母親で24時間いたいのに全然出来ない。

Coccoの歌詞で、すべて知ってたそれでも触れた他には何も見えなかったってある。

悪いけど手触りますって言われた時何も嫌な気はしなかった。だから次触られた時は握り返した。いつも女の影があって、そんなの未婚だしモテるから当たり前で、辞めた女の子はそんな彼と一緒にいて辛かったと思う。何年も働いていたのにあんな辞め方したくなかったと思う。なのにどうして私は想像力がなかったのだろう。想像力すら打ち壊すほどの効力のある麻薬物質を同じ空間で強制的に吸わされてる。でも途中からは自己意思に基づいてそれを吸引することになった。辛いとわかってもそれ以上の多幸感を享受出来るから。一瞬でも楽になりたくて逃げた、薬物中毒者は皆そう言うのだろうか。でもそろそろそんな時間も終焉に近づいていて、不倫しないで良かったー離婚しないで良かったー普通で良かったーと心の中で言い訳をしながら、彼の持って来た愛妻弁当の中のプチトマトを遠目から茫然と眺めることしか出来なかった。

たとえ守り抜いてもいつか虹は消えてしまうから

リスカ跡を見せるっていう行為は裸を見せているっていうことと同類だから愛してるんだけど、みたいな短歌を書きたいけど気持ちが支離滅裂で何もまとまらない。やっすい愛だなしかし。今日は七夕だから、短冊にこめた願いをずっと眺めてるけどまじ子持ち主婦って感じの31歳。自分自身の人生なんて半分も生きれないのが当たり前。

恋すると人の脳は馬鹿になる、いつかは覚めるんだからみたいに物事を長いスパンで見ていきたいけどこれが私の本質なんだな、逆に言うと感情の起伏が全くない夫と5年近く浮気も不倫もせずにずっといることが凄いな。まあ子供2人いたらね……普通に生きて育てるので精一杯。何の感情もなければ、上がることもなければ下がることもない、それこそが望んでいた幸せなんだけどなんでだろ。実家で気持ちが安定しなかった頃の何倍も幸せな種類に分類された生活しているのにどうして人間には欲が尽きないんだろう。

「本当にこの生活が幸せなの?」て聞かれたときに「不幸ではないです」と答えたのが明確な答えで、「幸せそうですね」て言ったら「本当にそう見える?」て聞かれて「それなりにね」って言って笑い合ったこととか、感情が揺さぶられることがずっとなかったから、その感情の起伏こそが多幸感と大きく欠落した何かを手にしたようで結局沼だなって感じ。深く寝付けていた頃に戻りたい。ドーパミンが出過ぎるのは良くないことらしい。

恋愛中のドーパミンはコカインのようなドラッグの効果とよく似ているらしい。そりゃ馬鹿にもなりますたい。

昼顔の結末でも見て酔いから覚めましょうね音頭踊っとこ。

まあ不倫してないけど。上戸彩が火を着けた家をただ茫然と眺めてるシーンがすこ。結局全てを精算したかったんだろうな。

全部現実逃避でもあって、そもそも職場で初めて会った時から懐かしさを感じてて、死んだセフレに会いたいけど会えなくて、彼にそっくりだから投影させているたけなのかもしれない。そのことに気づいたのも面接してしばらくが経ってからで、感情をずっと閉じ込めていて、私は既婚者の子持ちで、異性に対してときめいたりなんてずっとなかった。それで良かった。ずっと鳥籠の中の鳥だったらそれでも良かった。鳥籠の中の鳥は私を例えてくれた言葉で、被害者ぶるつもりではないけどそれはそれで楽でもあるのは事実であって。でも楽な人生より幸せな人生を選びたいって思う気持ちもあって、でも私の思う幸せは破滅だから、この感情をずっと押し殺しながら現実を見て中古を越えて賞味期限切れのババァになって誰からも相手されなくなりたい。彼との会話を全て書いて残してずっと記憶に残しておきたい。記憶はいつか消えるから。

好きだと気づいたのはゆるっとしたTシャツをネットで買ったらぶかぶかで肩が見えるスタイルで、出勤してから気づいたしまあ別にいっかと思ってたんだけど普通にブラ紐見えるしだらしないよな、すいません何かと思ってたら帰るときに「俺は全然いいけど自分自身が傷つくと思うからこういう肩が出る服は着ない方がいいよ」って言われて、こういうことさらっと言える男ってモテるよな、絶対みんな好きだよな、私も大好きなんだけど。そう思った。次の日気まずそうにされて目をそらされたのも良かったし冷たくされたのも良かったし今思い出しても本当に全部好き。三十路のババァが女の子扱いされたからか?単純だな、なんか、はは。まあそんなもんでしょう人間なんて。

ネトフリで離婚しようよ見るかね〜。まあ真っ当な昼間の仕事でずっと一緒にいて旦那とより会話してたらそりゃ好きにもなるかもね。自分の本質を全て見抜いてくれたからね。でもそれって私に対してだけじゃなくて他の子にもそうだろうから。辛い思いとか色んな経験をしてきた人間は人を見抜くのが得意だから。好きな人の好きな音楽を暗い部屋で聴きながらいつかは終わりが来る感情と対峙するしか今はないのかもね。

彼が私にかけてくれた言葉の全てが今の自分を構成していて、口癖も全部似てきて、「そういうところですよ」って言い合う瞬間が好きで、つまり全てが好きなんだけどそんなの酔ってるだけだしあと何晩寝たら会えるんだろうとか思いながら麻薬中毒者みたいな気持ちで薬が抜けるのを待ってるような待ちたくないような不滅の気持ちで朝を迎えてる。

宗教の終焉

教祖が死んだ。平成はやっぱり終わったのだと思った。その時は突然来る。地震もそうだった。3.11の時に新宿のゲーセンでプリ撮っていたら地面が揺れたことを思い出す。まだ大学生の頃だった。プリクラ落書きしようよーと私が言ったのを正気か?と言いたげな友達は危ないから逃げようと手を取ってゲーセンを後にした。全身鏡が後ろでガシャーンと割れたのが分かった。友達通っていた高校で手作りの大きなおにぎりを食べながら、校長室に泊まって眠るという貴重な経験をした。

あれから10年は経ったし気づいたら2児の母親になっている。戸建てで子供2人を育てる専業主婦になる将来を考えたことがなかった。

バイリンガルスクールが〜インターナショナルスクールで〜リトミック教室が〜って何語か私分からない〜♪偏差値30音頭からは抜け出せない。子供を産んでも私は私のままで根本的には一生変わらない。ずっと飲み屋で働いて家賃4万の狭い家にこもってアプリで男漁る人生、それでも別に良かった。不思議なことに選択一つで人生はがらっと変わった。高収入で学歴良いし、とか冷めた口調で言いながらも夢の中で夫は私に加害してくる男を無言で屋上から落としてくれた。それが愛情だと思ったからずっと気付けば一緒にいた。夢の中に出てくる人は印象に残ってる好きな人ばかり。でもいつも自分から連絡するだけで相手は求めてくれない、そうショックを受けている自分がいる夢を見て私は結婚相手が夫で良かったと思った。夫は私が既読無視したら50通とか平気で送ってくる人だから、追うよりも追われた方が幸せだったんだなって。

生まれ変わったら共学に行って晴々した青春を送りたい。自由な校風の国立にずっと憧れていた。同級生に恋したり文化祭や合唱コンクールを夢の中の自分は謳歌してる。中学の頃から精神が壊れ始めてネットの世界にのめり込んで、バーチャルの世界は裏切らなかった。女子校の校則厳しい校風や自分の中学受験失敗の挫折を受け入れられなくて外に居場所を作らなきゃ、ずっとそう思ってた。小学校の頃の地元の友達と集まるようになってからは楽しかった。中学受験組ばっかで、男子校の子とも仲良くて家で集まって氷結あるよーとか親が共働きで寂しいとかみんな言っていたりで懐かしい。でも男の子はいつでも可愛い子が好きで、世の中には可愛くて頭も良い子が沢山いて、自分はいつも女芸人枠にしか入れなくて。夢の中で抱きしめてくれた男の子はそんな自分にいつでも優しくしてくれた。女芸人扱いしかされない自分に何故?物好きか?その優しさを受け入れる自己肯定感がなくてDV男に依存するしかなかったことだけが心残りで、また夢の中で青春をやり直す。どれだけ巻き戻ししたらいいのだろう。

今日もひたすら眠る、夢の中で現実逃避したり昔に戻ったり理想を描いたり自由になんだって出来てしまう。

兄は中学の頃教祖の息子と同級生だった。この子は東大理Ⅲに絶対行くのと叫んでた母親を見ながら早くこの家を出たいと思ってた頃を思い出す。教祖の前妻の毒親っぷりと全く変わらないじゃないか、違うのは最終学歴くらいか。貴方が馬鹿にしてた○○君は現役で東大に行った!なのに貴方は!そう叫ぶ母親を思い出す。進学校に行って落ちこぼれた兄が期末テストの日に家にこもってテストを休んだ日の電話の会話が忘れられない。39度の熱が出ても、這ってでも学校に来てテストを受けるんです!って。勉強が出来るのは幸せなのだろうか。おばあちゃんの親戚もみんな喜んでたけど。出来てしまうからこそ期待されて重荷になるという事実。私はそんな子育てしたくない。なんて言いながら、自分が育ったようにしか子供は育てられないと言う言葉を聞いてぞっとする。結婚願望なくて子供はもちろんいない兄だけど母親は兄の東大受験失敗してからずっと放任だった私に急について回って早く子供を産めとずっと言われてきた。息子と娘が生まれて毎回会うたびにこの学校は絶対受けろ、こんなレベルが低い学校はあり得ない、この子たちなら大丈夫、あなたには似てないから。呪いの言葉だけ残して満足気に帰っていく。親だし色んな性格の人がいるしという気持ちと関わりたくないという気持ちがいつも錯乱している。産前産後の9ヶ月は会わないようにしていたけど親戚付き合いもわりとあるから全く会わないわけにはいかなくて完璧に関わりは断てない。教祖が死んだように、私も親と死別した時に本当の自分自身の人生を取り戻せるのだろうか。公園で知り合った子供やお母さん。また遊んでねと抱きしめてくれる子供。隣人愛の意味をこういった場所で知るとは思わなかった。私は人生180度変わったのだろうか。

改宗したきょう子さんは、キリスト教の、自分を愛するように隣人を愛しなさいと言う教えをどう思うのだろう。自分の息子に3000万貸したのも、毒親と言われる育て方をしてしまった償いでもあり、そして今でも大切な子供なのではないのだろうか。高校入試の際に聖書だけ持っていったエピソードをYouTubeで見て、宗教の矛盾を感じながらも色々考えた彼女の思想の深さを知った。私は流されるがまま生きてきて信念も何もなく、みんな打つからワクチン打つか、そんな感じの人生。弱い頭で物事考えるのも苦手だし疲れるから。そんな人生と決別出来る日が来るのを見たいような見たくないような混沌とした気持ちがいつも、いつだって自分の頭の中にある。

おちたらおわり

今週こそ執事喫茶に行こうと思いながら全然行けていない。

秋葉原辺りに行ったら20歳の頃に戻れる気がするし色んなことを思い出すだろうけど、23区内で1番治安が良いと言われてる文京区で今は生活している。家も夫が買ってくれた。治安の良さを配偶者の金の力で享受することが出来た。治安の悪い場所に住んでいた私からしてみたら、これこそが1番の愛情表現なのかもしれない。息子はもうすぐ2歳で今月から保育。娘は生まれたばかりの0歳で、1ヶ月健診がようやく終わった。

子供と茗荷谷の辺りを散歩すると、このエリアでの生活こそが私の夢だったし、憧れだったのだと思う。中学受験塾や幼児教室がずらっと並んでいて、眼鏡をかけた知性の高そうな子がぞろぞろと塾に入っていく。成績順の席に座り、偏差値で価値が判断される世界。手を挙げて答えられないと詰られ、泣いていた子もいたことを思い出す。自分の中学受験の頃のことを回想し発狂しかけるけど、私はもう主婦だから大丈夫と安堵する。過ぎ去った日のことだし、今となっては他人事だ。兄が通っていた学校も徒歩圏内にある。偏差値70超え!志望校は東大!医者になってみんなを救え!呪文のように親も親戚も唱えていた。その異様なまでの価値観は、新興宗教そのものだった。そういえばその学校の同級生に、宗教2世の教祖の息子がいたらしい。そのことでいじられていたらしく、親は選べないのに、そんな想像力を持てない子供は残酷だと思った。兄が予備校で夜遅くまで勉強する一方で、私は高校に入りすぐにバイトを始め、バイトの人や地元の友達と呑んだりするDQNになった。学校にはあまり友達もいなかったし、インターネットの世界にのめり込んだ。チャットで仲良くなった子たちと文通するのが楽しみだった。北海道、新潟、大阪、色んなところに住んでる子たちと交流し、とても楽しかった。私からしたら親も親戚も異様に学歴にこだわるから異星人に見えたけど、彼らからしてみたら知能が異様に低い私こそが異星人に見えていたのかもしれない。

「あなたも国立の優秀な学校に行って明るく育ってほしかった」

母親は悲しむというより嘆いててる。今では仲が良いけど、勉強を強いられてプレッシャーとの戦いの兄は

「頭悪い私立に通わせてもらって良かったな。頭悪い学校通ってるの俺の友達に言わないでね、みんな御三家とか通ってるし。」

浪人してストレスが溜まっているのか毎日苛々していて可哀想だった。教育虐待そのものの被害者だった。母親から呪いを毎日かけられている。あのモンスターは東大東大うるさい害悪なセミのよう。叩き殺せば解決するけど、我慢するしかない。自分の最終学歴は短大なのに、相手に多くを求めすぎている烏滸がましい人間。

偏差値音頭にみんなが支配されている。偏差値30でも40でも誰も喜ばない。70超えないと笑顔にならない。喜んでくれない。学歴厨の母方の家も父方の家も、進学校に行く兄しか讃えていない。私は空気だ。兄が合格祝いで5万をもらってる隣で私が合格したことはなかったことにされている。0円の価値の人間だ。でも逆の立場ならどうだろう。偏差値70超える進学校に行った孫と、偏差値50にも満たないような孫。前者のがよほど自慢になるのではないか。綺麗事だけで成り立っている世界ではない。偏差値30?!すごいね!なんて言ってくれる人間の方が少ないのかもしれないし。現実は残酷だから、偏差値で価値が判断される。みんながみんなそうではないだろうけど。頭の中の虫がジリジリと鳴いてうるさいから、鳴き止ませようと殺すことを決意した。家の窓ガラスを割るとすっきりしたけど、やっぱりこの子は頭おかしいよ、とか怒るというよりも唖然としていた。私はこの家にいたらだめだ。みんな学歴の話しかしないから、仲間に入れてもらえない。足が悪い子にリレー選手になれなんて無茶振りはしないのに、どうして頭が悪い私に頭の良い進学校に行ってほしいと無茶振りをしたのだろう。

「奥さーん、旦那さんと派手に喧嘩しちゃったの?!窓ガラスひどい割れ方してるじゃないの!」

業者の人の呑気な声に救われた。

「いや、これは娘が…!」

「いいのいいの、隠さなくて。よくあるのよ、こういう夫婦喧嘩。今から直すからねー」

そんなやりとりを部屋から聞きながら私はイヤホンの音量を強くする。クソが。だけど気付いたら偏差値音頭は鳴り止んだし、頭の中の虫も、静かになった。

結婚は救いだった。新しい家族が私にも出来た。幸せな家庭がここにはある。穏やかで優しい夫に、可愛い子供。人生はまた1からやり直せばいい。肯定してもらえる世界でなら平和に生き延びることが出来る。

これからは幸せな家庭を1から作っていかないと。私は人生を挽回している最中なのかもしれない。人生矯正プログラムの最中なのかもしれない。公園で幸せそうな夫婦に子供が笑顔で過ごしていて嬉しくて泣きそうになったけど、私自身もそんな幸せな家庭を築けているのかもしれない。

10年前に執事喫茶に一緒に行った友達は、自殺した。もしかしたら高校の頃私は、1回自殺したのかもしれない。でも辛うじてまだ生きている。もしかしたら友達は自殺したことを後悔してるかもしれない。せめて安らかに眠ってほしい。痛みも苦しみもない世界で過ごしてほしい。

子供をサポートする側の人生になって、本当に良かった。自分自身の人生に意味を見出せなかった。でも、自分自身の人生はおまけになった。もう傷つかない世界にいける。でも子供に依存しすぎたり期待しすぎるのはグロテスクな母親と一緒になるから気をつけないといけない。反面教師にしないと。いずれ成長する子供に、今だけでも必要とされて本当に良かった。ママ友とお茶会〜とか言ってのんびり珈琲飲む人生に感謝したい。

幼稚園受験、小学受験、中学受験、高校受験、大学受験、就職活動。順位付けされる世界を子供はこれから経験し、生きていくのだろうか。成功体験も大切だけど、挫折も経験して、人の痛みのわかる人間になってほしい。

奇妙な夢

死んだセフレが夢に出てきた。享年26歳なんて悲しすぎる。

倒れてから亡くなるまで2年半、余命宣告されてから亡くなるまで2年だったっけ。健康に気を使って炊いてくれた雑穀米食べなくて本当にゴメン。私だけ生きて結婚して子供まで作って病んでたのが嘘みたいに幸せに暮らしてゴメンね、また会いたいな。生命線短いけど生命力強いのかな。夢に出てくる相手は自分を想っているって本当だろうか。テレパシー?偶然?ただの自意識過剰かな。夢に出てくる異性ランキング3位に入るのはもちろんみんな好きだった人だけど、恋愛的な好きだったり人として好きだったり、そもそも好きってなんだっけ。気が多い女か?単純に、生きてきた中で印象的で忘れられない人なのだろうか。不思議。みんな良い人だったね、ちゃんちゃんで終わって目は覚めるけど結局結婚した夫が1番良い人だよね、で解決する。戻りたい過去もないし今が1番断トツでサイコー!なら何故夢に彼が?もう二度と届かないから?記憶が26でストップされている。

ミィちゃんの仏壇の写真が朝起きるといつもずれてる。だから私は直すし、水を変えるのはただの日課になってしまった。夫は写真を触っていないし、だったらどうして。写真がずれていてもずれてなくても忘れることはないのにね。

誰かが亡くなるってどうしてこんなに悲しいんだろう。超絶幸せ!人生最高!ってなっても亡くなった人を思うと途端に苦しくなる。自分だけ幸せなのが申し訳ない。彼は脳腫瘍にならなければ生きていたし、ネコのミィちゃんも腎臓が悪くなるのがもっと早く分かっていたら亡くならなかった。残された人間はずっと引きずりながら生きていくしかない。忘れることは不可能で、心の中で割り切ってやりすごすしかない。

私の今の子宮は空っぽで、妊娠していた頃に何千倍もの大きさに膨らんだ子宮は、産後元に戻ってしまった。息子はお腹の中でずっと一緒だった、なのにもう今では空。何もない。生殖能力はまだあるはず、そう思いたい、なのに。

人から親切にされるようになった。20代前半の頃は触られたり酔っ払いに絡まれたりした電車で。ベビーカーは幅を取るから、もっと邪険にされると思ったのに人から優しくしてもらえる。今まで経験したことのない優しさで、泣きたくなった。私単体が存在しても何もないけど、生まれて間もない子供がいるだけでこんなにも世界は優しい。嬉しいし驚きもあったし、加害されると思ったのに結果はその逆で、世界が眩しく見えた。ずっと卑屈に生きてきたのに、これからはもっと前向きに生きていいと思う。嫌なことがあったらその時に考えたらいいだけで。子供が好きなおじいさんおばあさんも、エレベーターがなくて一人でベビーカーを階段で運んでいたら手伝ってくれた人もありがとう。他にも嬉しいことが沢山あった。

空になった子宮がまた膨らんで、生命が宿る日が来ることも、亡くなった彼とネコにまた会える日が来ることも、相反する両者と巡り会える日が来ることが、今から楽しみで仕方がない。

母性

26で付き合って27で入籍、28で妊娠出産。

マイホーム購入計画に2人目妊活のタイミング。幼稚園受験に小学校受験するか否かの計画にその他諸々。貴重な20代後半は夫に捧げたけど、高学歴高収入相手にはこれくらいなんなりと。高収入の男が結婚で失うものやリスクは沢山あったのにここまでしてくれたから、妊娠線も授乳の肩こりもまあ耐えられる。自分に似ていない子供はとても不思議だけど、自らが選んだ配偶者に似たのだから結果論は良かった。

仕事していない女でも主婦になって子供産めば何も言われないのが救い。育児はもっと大変なイメージがあったけど受験勉強よりも仕事よりも楽しいしストレスないし(全くないことはないだろうけど)向いていると思う。

母性は子が生まれてから生まれるものなのだなあと思う。夜も寝てくれて外でも騒がないから本当に手がかからなくて自分から生まれたなんて思えなくて、でも2人目は自分に似るリスクだってあって、それでも2〜3歳差で次の子が生まれるタイミングでまた妊活をするのだろう。案ずるより産むが易し、このことわざが好きで、深く考えずにポコポコ産む田舎のマイルドヤンキーの精神でいきたい。産んでから考えたら良い。なるようになるし田舎の大家族を見習いたいし、だけど貧乏子沢山はエゴの被害者とも思うし、金持ちの子沢山は、身の丈に合っている故に尊敬する。

この子は馬鹿でねーってそりゃ浪人して短大のババァから産まれたらそうもなるだろうよ。息子は器量良くて医学部行きたいのよーって医者家系でもなければ私大の医学部に行かせる金もないのに烏滸がましい一家の思考回路はどーしてそうなるんだか。東工大卒のジジィから生まれた兄は地頭はジジィに似たらしく筑波大に行ったけど浪人して東大に行けなかったことを責められ、期待される人生もなかなか大変だなーと。頭良かったら期待されて、良い結果でも更に上を求められ、それってなんかやられ損だなって。高卒一家から筑波大行けたら凄いって言われるだろうに。親は選べないからこうなる。親ガチャでハズレ引いたことを恨むか割り切るしかない。

推薦でニッコマに行く人生はサイコー!男の自尊心を満たすFラン女子大でも良かったかもね。金持ちと結婚してサクッと妊娠出産する人生コスパ良すぎ!婚活市場で知り合った東大卒も一橋卒も学歴は気にしない人だった。ってか高学歴が相手にも学歴求めるのか?まあ色んなパターンがあると言えど。

毎日ロシアンルーレットに強制参加させられていると思う。私は参加するなんて一言も言っていない。でもこの世に生まれた時点で、参加することは義務付けられたのだ。

日々上手くすり抜けてはいるものの、ある日唐突に当たりを引いてしまい、理不尽な事故に巻き込まれてしまうのか。通り魔に刺されたらどうしよう老害に車で突っ込まれたらどうしよう。そんなことを考えては、今日は家にこもろうと思う。外にさえ出なければ被害に遭う確率は0に近い。0.001%でもその確率があるというだけで外出するのが億劫になってしまった。今日は大丈夫、今日は大丈夫と安堵しながら生きていく。これは死ぬまで?

出産は神秘的なものだった。デザイナーズベイビーじゃなくても子は理想的だった。おめでとうございます、生まれましたよと言われた瞬間わんわん泣いた。
今日は晴れたから公園に行く。確率を気にしてる場合ではないのかもしれない。楽しいことには何事もリスクがつきものだ。休日は夫が子を見てくれるから静かな住宅街のファミレスでモーニングを1人で食べる。小説読んでまったりする人生は最高。

とか言ってたら夫がベビーカーで子を連れてこっちに来る。ワンルーム4万円で1人暮らしをする人生は終わって、子は泣いてるけどそれでもやっぱり可愛くて