おちたらおわり

今週こそ執事喫茶に行こうと思いながら全然行けていない。

秋葉原辺りに行ったら20歳の頃に戻れる気がするし色んなことを思い出すだろうけど、23区内で1番治安が良いと言われてる文京区で今は生活している。家も夫が買ってくれた。治安の良さを配偶者の金の力で享受することが出来た。治安の悪い場所に住んでいた私からしてみたら、これこそが1番の愛情表現なのかもしれない。息子はもうすぐ2歳で今月から保育。娘は生まれたばかりの0歳で、1ヶ月健診がようやく終わった。

子供と茗荷谷の辺りを散歩すると、このエリアでの生活こそが私の夢だったし、憧れだったのだと思う。中学受験塾や幼児教室がずらっと並んでいて、眼鏡をかけた知性の高そうな子がぞろぞろと塾に入っていく。成績順の席に座り、偏差値で価値が判断される世界。手を挙げて答えられないと詰られ、泣いていた子もいたことを思い出す。自分の中学受験の頃のことを回想し発狂しかけるけど、私はもう主婦だから大丈夫と安堵する。過ぎ去った日のことだし、今となっては他人事だ。兄が通っていた学校も徒歩圏内にある。偏差値70超え!志望校は東大!医者になってみんなを救え!呪文のように親も親戚も唱えていた。その異様なまでの価値観は、新興宗教そのものだった。そういえばその学校の同級生に、宗教2世の教祖の息子がいたらしい。そのことでいじられていたらしく、親は選べないのに、そんな想像力を持てない子供は残酷だと思った。兄が予備校で夜遅くまで勉強する一方で、私は高校に入りすぐにバイトを始め、バイトの人や地元の友達と呑んだりするDQNになった。学校にはあまり友達もいなかったし、インターネットの世界にのめり込んだ。チャットで仲良くなった子たちと文通するのが楽しみだった。北海道、新潟、大阪、色んなところに住んでる子たちと交流し、とても楽しかった。私からしたら親も親戚も異様に学歴にこだわるから異星人に見えたけど、彼らからしてみたら知能が異様に低い私こそが異星人に見えていたのかもしれない。

「あなたも国立の優秀な学校に行って明るく育ってほしかった」

母親は悲しむというより嘆いててる。今では仲が良いけど、勉強を強いられてプレッシャーとの戦いの兄は

「頭悪い私立に通わせてもらって良かったな。頭悪い学校通ってるの俺の友達に言わないでね、みんな御三家とか通ってるし。」

浪人してストレスが溜まっているのか毎日苛々していて可哀想だった。教育虐待そのものの被害者だった。母親から呪いを毎日かけられている。あのモンスターは東大東大うるさい害悪なセミのよう。叩き殺せば解決するけど、我慢するしかない。自分の最終学歴は短大なのに、相手に多くを求めすぎている烏滸がましい人間。

偏差値音頭にみんなが支配されている。偏差値30でも40でも誰も喜ばない。70超えないと笑顔にならない。喜んでくれない。学歴厨の母方の家も父方の家も、進学校に行く兄しか讃えていない。私は空気だ。兄が合格祝いで5万をもらってる隣で私が合格したことはなかったことにされている。0円の価値の人間だ。でも逆の立場ならどうだろう。偏差値70超える進学校に行った孫と、偏差値50にも満たないような孫。前者のがよほど自慢になるのではないか。綺麗事だけで成り立っている世界ではない。偏差値30?!すごいね!なんて言ってくれる人間の方が少ないのかもしれないし。現実は残酷だから、偏差値で価値が判断される。みんながみんなそうではないだろうけど。頭の中の虫がジリジリと鳴いてうるさいから、鳴き止ませようと殺すことを決意した。家の窓ガラスを割るとすっきりしたけど、やっぱりこの子は頭おかしいよ、とか怒るというよりも唖然としていた。私はこの家にいたらだめだ。みんな学歴の話しかしないから、仲間に入れてもらえない。足が悪い子にリレー選手になれなんて無茶振りはしないのに、どうして頭が悪い私に頭の良い進学校に行ってほしいと無茶振りをしたのだろう。

「奥さーん、旦那さんと派手に喧嘩しちゃったの?!窓ガラスひどい割れ方してるじゃないの!」

業者の人の呑気な声に救われた。

「いや、これは娘が…!」

「いいのいいの、隠さなくて。よくあるのよ、こういう夫婦喧嘩。今から直すからねー」

そんなやりとりを部屋から聞きながら私はイヤホンの音量を強くする。クソが。だけど気付いたら偏差値音頭は鳴り止んだし、頭の中の虫も、静かになった。

結婚は救いだった。新しい家族が私にも出来た。幸せな家庭がここにはある。穏やかで優しい夫に、可愛い子供。人生はまた1からやり直せばいい。肯定してもらえる世界でなら平和に生き延びることが出来る。

これからは幸せな家庭を1から作っていかないと。私は人生を挽回している最中なのかもしれない。人生矯正プログラムの最中なのかもしれない。公園で幸せそうな夫婦に子供が笑顔で過ごしていて嬉しくて泣きそうになったけど、私自身もそんな幸せな家庭を築けているのかもしれない。

10年前に執事喫茶に一緒に行った友達は、自殺した。もしかしたら高校の頃私は、1回自殺したのかもしれない。でも辛うじてまだ生きている。もしかしたら友達は自殺したことを後悔してるかもしれない。せめて安らかに眠ってほしい。痛みも苦しみもない世界で過ごしてほしい。

子供をサポートする側の人生になって、本当に良かった。自分自身の人生に意味を見出せなかった。でも、自分自身の人生はおまけになった。もう傷つかない世界にいける。でも子供に依存しすぎたり期待しすぎるのはグロテスクな母親と一緒になるから気をつけないといけない。反面教師にしないと。いずれ成長する子供に、今だけでも必要とされて本当に良かった。ママ友とお茶会〜とか言ってのんびり珈琲飲む人生に感謝したい。

幼稚園受験、小学受験、中学受験、高校受験、大学受験、就職活動。順位付けされる世界を子供はこれから経験し、生きていくのだろうか。成功体験も大切だけど、挫折も経験して、人の痛みのわかる人間になってほしい。