中学受験は人生を変えたのか

妊娠検査薬を何度も試みるものの、結果は陽性で間違いはないようだった。本当は彼氏との子供が欲しかった。でも、私のお腹に存在しているのはセフレとの子供で、これから産むべきなのか、堕ろすべきなのかをただただぼんやりと考えていた。彼氏には何て説明をしよう。親にも紹介したのに、指輪ももらったのにどうして彼との子供じゃないの。どうしてあのタイミングでピルを飲むのを辞めてしまったのだろう。どうしてあのタイミングで酔っぱらって家に行ってしまったのだろう。どうして本命ほど避妊具を着けるのに対してどうでもいいやつほど生でヤりたがるのだろう。性病にこそなったことないものの、子宮頸がん検診で引っ掛かった恐怖は今でも忘れない。私もいけない部分はきっとあった。でも自分から生でヤりたがったことは一度もない。どっちにしたってイけないのだからゴムを着けてほしい安心したいし。検診台の上に乗る恐怖をあと何度経験するのだろう。でも、再検査でがんではなかったのだと知り安心すると共にもう二度と性に奔放になるのはやめようと思った。がんになったら最悪死ぬことになる。今までの経験人数は3桁は行かないくらいだとは思うけど生でヤったのは片手で収まるくらいだ。それくらい気を付けてはいた。人殺し、と生でヤってきた男に呟いた。お前は気持ちいい思いだけしてこっちに不安な気持ちだけを残してしかも粗チン。将来考えてる彼氏ですら避妊具を着けてるのにふざけんなよタコ。冷や汗をかくと共に目が覚めて、夢なのだと気付いた。そう、すべてが夢だった。生理が来ている、だから妊娠はしていない。しているわけがない。セフレとヤったのも半年前だし妊娠するわけがない。にしても生々しい夢で、現実との区別がつかなかった。夢でくらい安心させてくれよ。

2月になると思い出す中学受験の時期を、もう何度通りすぎただろう。ジャガー横田の子供が中学受験したのを取材した番組は、視聴率が良かったそうだ。全ては見なかったけど、落ちてもしっかりとしたコメントをしていて、わずか12歳でも自我はしっかりあるのだと痛感した。合格した学校で、医者になるために頑張ってほしい。若い彼には夢があり、少し羨ましい。
「私立の中高一貫校なんて洗脳教育よね。」
カフェにいた主婦が話すのを聞きながら、妙に納得をしてしまった。学校の選択によって人生が左右されると言っても過言ではないのだろう。
援交で逮捕された担任に中1の時放課後呼び出されたのを思い出した。ガリブスだった私が欲情されるわけもなく、友達がいないことを心配され、色々とクラスのことを聞かれた。成績悪いことを聞かれるかと思ったのに、こんなことを心配してくれるんだと驚いた。私はもう少し心を開いてみるのも大事なのかもしれない。授業前に教室にいるのが怖くなってカウンセラー室に逃げ込んだことも、昼休みに教室にいるのが辛くなって図書室に行って本をひたすら読んでいたことも私の中高時代の青春だ。振り返ってみたとしても、多感な時期をそんな暗く過ごしてしまったのは間違いなく自分のせいだろう。しかしながら、ファミレスでバイトしながら、時給900円で稼いだお金で銀杏boyzのライヴに一人で行って救われたりと色々だった。学校に友達がいなければ、ネット(チャットやら前略プロフィールやら)で友達を作ったし、学校が人生の全てではなかった。でも多くを占めている学校が与える影響は計り知れないとは思う。担任が逮捕された10年後に、買う側だった担任とは真逆の売る側に私はなっていた。今でこそパパ活といった言葉が流行っているし、殺人事件だってあるくらいリスクがあることだっていうのは白痴の私ですら分かっていた。お金より欲しかったものは、承認欲求だったのだろうか。記憶の一部始終が途切れて、今ではあまり覚えていないけど、精神が荒んでいたことだけは確かだった。いつ誰かにホテルで殺されたとしても別に良かった。でも、誰も殺してはくれなかった。ただ優しくお金をくれて、また会おうねと言ってくれた。それが私は嬉しかった。何も傷つくことなく、貯金だけが増えていった。中高時代とは真逆で、存在することがそこでは許された気がした。みんな優しかった。だからこそもう二度とこんなことをするのは辞めようと思った。それから私はキャバクラしかやっていない。
私は、大人より子供の方が怖い。ギャーギャーうるさいし、何も怖いものがまるでない。人を傷つけても殺しても、少年法で守られているから被害者は泣き寝入りするしかないからやり場もないし。大人は、まだ理性ある者が比率としては多いだろう。何をしても許されてしまう子供だからこそ、自分が守られていたこともあったけど。
私が行きたかった中学は国立で、通うことになった学校とは真逆の校則もない自由な校風だった。内気でいつも母親の後ろに隠れるような子供だった私の手を引いて遊びに誘ってくれた女の子は、国立の幼稚舎に通っていた。
「あの子みたいに明るい子になってほしいの」
母親がそう言うから自分を変えたくて、中学受験を決意した。国立の校風は、親も気に入っていた。あの環境に行けば、少しは変わるものもあるかもしれない。父親も兄も国立だから、私も頑張って行けたらと思いながらずっと塾に通っていた。結局落ちたけど。一瞬で夢が終わった。
落胆すると共に安堵する。もう二度と受験することもなければ学習塾に通うこともないって。苦手な数学を勉強することもない。一流ではないものの最終学歴は一応は大卒で、プライド高い男からしてみても偏差値は高すぎず低すぎずでちょうどいい。一般職で手取り20万行かない事務職OLが関の山だ。彼らのプライドを逆撫でする要素はまるでない。そう思い込んで安堵してみるものの、不合格だった失敗経験は消えない。本当はもっと頑張りたかったのが本音だけど、終わったことはどうにもならない。かと言ってもう一回リベンジで受験したいとも思わないし。なのに完全には諦めきれないのはどうしてだろう。
仮に子供が出来て、自分より馬鹿なら学費が無駄だなと思い、自分より頭良かったら「ママって勉強出来ないもんね」と馬鹿にされるのだろうか。そして、その事に対して怒りが沸くのだろうか。
消ゴムのカスを投げられたくないから塾で食べられなかったお弁当も、テストの点数がトータルで悪かったクラスが塾の周りをうさぎ跳びさせられたことも、記憶からはなくならないから不思議だ。こんなことを自分の子供も経験していくのだろうか。だったら一体生まれてくる意味はなんだろう。金をもらっておっさんとヤったときにアドレナリンがドバドハ出たのは、そんな勉強と真逆なことをやれてしまう自分に満足をしていたのではないだろうか。
働いているキャバクラで売り上げの成績表が更衣室に貼り出されていた。私はナンバーに入っていて、塾で成績が貼り出された時の虚しさはない。下位の自分を恥じていた小学生の頃とは真逆の、安堵とも言えない、喜びも悲しみもないこの感情を何と呼べば良いのだろう。壊れてしまったものを修復するだけの能力は、人間にはあるのだろうか。
フェイスブックを見て、フォローもしていない苦手な知人の幸せそうな報告を見て、下唇を噛んだ。あんなに人を傷つけてもガキを産んで満面の笑みで微笑むことが出来る。震えが止まらないのは忘れていないからで退化しているから?そんなことはない、紛れもなく今の私は幸せだ。
現在の私は港区の白金で旦那と暮らしています♪専業主婦最高!毎日がハッピー!結婚指輪はハリー・ウィンストン!海外旅行と毎週のアフタヌーンティー日課で、週末は旦那が連れていってくれるミシュランガイドに載ってるお店が美味しくて幸せ~(*´∇`*)整形してマシになった顔を更に加工して、そこには第二の私がいる。歯並びを綺麗にしたから、歯を見せて幸せそうに笑えばいい。
現実と妄想を織り成しながら、私は架空の自分を作り上げ、マウントを取ることで人生のリベンジを計っていくのだろう。誰も見ることもないのならば意味がないということにも気づかずに。大逆転、そう言いながら二匹のネコが近づいてくる。お姉ちゃんは人生大逆転したね、良かったね。そっかあ、二匹のネコは私の味方だものね。ネコのボランティアに参加してから人生は好転した。いるだけで幸せだなんて存在はそうそうない。ネコチャンは最高な存在だ。専業主婦を養う旦那もそんな気持ちで仕事を頑張っているのだろうか。私は誰にも養われていない。でも妄想上ならどんなマウントも取れるような気がする。夢の中と妄想の中なら辛いことも何もない。私は幸せ、そう自分に言い聞かせながら、SNSを更新していくのだろう。