追憶

人生を挽回できると思ったことがある。
大学に合格した時と、製薬会社の正社員になった時。
もしかしたら、人生の勝敗は生まれながらにして決まっているのだろうか。
ガラ悪い地元の安キャバで客の酒を作りながら、心ここにあらず、といった感じで私は考える。
今度考える挽回というのは、結婚だろうか。いや、夢も希望もないし、挽回しようと思える気力すらもう湧かない。
若い頃見下していた、出来婚とやらをするくらいのが案外幸せなのかなと思ったけど、責任のない人間がそんなことは出来ない、とふと我に帰る。
整形すれば人生は挽回出来るのかな、と小学校の頃にビューティコロシアムを見ながらふと思っていた。
でもパーツが多少変わったくらいで自己満足なだけで大して顔が変わらないように、人生は大きくはけして変わらない。
この人だけは今までの人とは違う、といった見る目ないながらに感じた感情に信憑性はないのに、何故こんな日々は繰り返されていくのだろう。
中学の頃後ろの席だった子がアイドルになってタワマンに住んでる中で、暗くて不細工と言われていた私は家賃4万のマンションに佇みながら社会不適合な人生を送るのはきっと必然だった。
「クラスでいつも一人でいるけどどうしたの?」と放課後呼び出して配してくれた担任は、3年後に援助交際で捕まった。その時私は何を思っただろう、もう何も思い出せない。
人生が快方に向かったと思ったり、その逆も然り、といった感じでなんの一貫性もない。その度に感情の起伏に波があり、とても疲れる。
やっぱり上部を取り繕っても根本は変わらないから、見抜かれてしまうのだろう。
人間は明るい人間が好きだ。深く人と関わらなければ明るく振る舞えるのだから、誰とも一生深く関わらないのが吉なのか。
人生を挽回できると思ったのが大学に合格した時と、製薬会社の正社員になった時と上記で述べたが、「私にしては」の一言に過ぎる。
1日12時間勉強しても日東駒専レベルだし、製薬会社だって一部上場企業ではないけど、おっパブで働いていて病んでいた私からしてみたら、素晴らしい転職先だった。給料が下がっても、安定がある。
数年働いて結婚するという人生が、当たり前のようでどれだけ難しいかという現実に直面したけれど。キャリアウーマン気質でもないのに、異性関係も上手くいかない私は、仕事も恋愛もまともに出来ずに、どう生きろと。
大学に入るのが夢だったけれども、大学を卒業したら夢は終わり、社会人になれば正解なのだと思ったけど、入るのは簡単でも続けるのが容易ではない。
頑張ってきたつもりだけど、客観的に見たら頑張れていないのだろう、だけどもう本当に疲れたから全てを休みたい。会社を休職してる、云々じゃなくて生活から離脱したい。
だったら何故私は貯金するのだろう。死にたいわけではないという意思表明だろうか。それとも単純に物欲がないだけか。
だったら何故私は2匹のネコを飼ったのだろう。寂しいから?多分それだけじゃない。好きだから、というのは一理あるけれども、気づいたら私は譲渡会にいたし、二匹が来るまでわくわくと不安があった。実家と和解したから私が死んでも、この子たちはけして不幸にしない。
人間を幸福に出来ないから、ネコを飼ったのだと思う。収入はあるから、生活には絶対困らせない。
汚れながら生きるのが辛いとすら思えないのはある意味幸せなのか、そうではないのかは分からないけれども、守るべきものがある。それだけは不幸ではないと確信している。